2007年01月24日

泣ける2ちゃんねる。

5年前、女房が男を作って、4歳の息子を残して家出した。
母親を求めて泣きわめく息子を最初は正直疎ましいと思った。
1週間もすると、二人とも現実を受け入れなきゃならないと痛感するようになり、
そのうちに男どうしの生活もうまく回り始めた。

慣れない家事をやってるうちに、何もかも女房任せにしていた自分も悪かったかなとか思うようになった。
1年もすると、料理や家事もそれなりに上手くなり、息子とも最高に仲良くなれた。

突然、女房に雇われたという弁護士から連絡が入った。
俺と正式に離婚して、さらに息子を引き取りたいと言う。
なんでも女房の相手は結構な金持ちらしく、あちらも奥さんとの離婚がやっと成立したそうだ。
ふざけるなと言う俺に、裁判をすれば親権は100%母親に行くと弁護士は強気だった。

その夜、風呂に入りながら息子に
「ママがお前と暮らしたいって言ってるけど、どうする?」と聞いてみた。
案の定、息子は目を輝かせながら「いつ?いつ?」とはしゃいだ。
息子が嫌がったら絶対に渡さないと思っていたけど、あの目を見たら、俺と暮らそうとは言えなかった。

いろんな手続きがあって、息子は(元)女房のところへ行ってしまった。
数週間後、俺の口座に大層な金額が振り込まれていた。
その日に届いた手紙には、息子は新しい父親に懐いているから、
もう会わないで欲しいと書かれていた。

ドブに捨てるような使い方をしてやろうかとも思ったが、その金には手を付けないことにした。
息子が成長して免許を取ったら、車でも買ってやろう。
それまで俺のことを覚えていてくれるだろうか。


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2007年01月20日

泣ける2ちゃんねる。

昨日、念願の車を購入した。その足で実家に帰って両親に車をお披露目。
両親は喜んでくれたが、なにか釈然としない気持ちが高ぶっている。

そして思い出す。
オレが7歳の頃にその犬はやってきた。名前はロッキーという。
真っ白いフワフワの毛。垂れた耳と目が人なつこさを表していた。
それからは毎日が一緒だった。オレが母親に怒られると、ロッキーのいる、
玄関にゴハンを持っていって一緒に食べる。悔しくてオレが泣き出すと
不安そうな顔をしながらも、あふれる大粒の涙をペロペロ舐めてくれた。

オレがいうのもなんだが、頭の良い犬だった。知っている人には絶対吠えないし、
知らないセールスの人が勝手に家に入ってくると必ず吠えた。
オレは頭が悪かったが、なんだか出来のいい弟をもった気分だったよ。

車が好きな犬だった。毎年夏には一緒にキャンプへ行った。窓ガラスから
ずっと顔を出していた。高速道路で顔が変形するくらいに風に立ち向かっていた
姿に家族全員が笑った。すごく幸せで楽しかった。

それから16年が過ぎたとき、その日はやってきた。オレが社会人になって
ようやく会社にも慣れてきたころだった。ロッキーに死期が近いことも知っていた。
体中にガンが転移して、毎日苦しそうな声を上げていた。お医者さんも
手の施しようがなかった。十分長生きしてるけど、それでもやりきれない。
ある日、母親から会社にいるオレに電話がかかってきた。「苦しそうにしていて
耐えられない。これから安楽死させようと思う。おまえの了解が欲しい」と。

ロッキーの鳴き声が頭の中で響き出す。その頃になると、夜中でも朝でも泣いていた。
泣き出すと頭を撫でにいった。すると落ち着いてまた眠り出す。だが、それも
限界だった。オレは母親に「いいよ。楽にさせてあげて」と言って、電話を切り、
会社で泣いた。泣くのが落ち着いた頃、また母親から電話があった。

「お医者さんのところに連れていくまえに、体を洗ってあげようと思って、
洗ってあげていたら気持ちよさそうにしてたのよ。石鹸を手に取ろうと
目を離して次に見ると、天国へね、逝ってたのよ。最期は何も泣かずに
おとなしく、静かに...」「きっとお医者さんのところで、死ぬなんて
嫌だったんだろうね...このウチで、最期...」それ以上は、母親も
言葉を続けられなかった。そしてオレも言葉にならない言葉で、
「ありがとう」といって、電話を切った。そしてまた会社で泣いた。

ロッキーとの約束を、ハッキリと思い出す。「オレが大人になって車の
免許を取ったら、乗せてやる。真っ先に乗せてやるからな。」

今、オレの車は、ロッキーがつけていた首輪を乗せて走っている。


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2007年01月14日

泣ける2ちゃんねる。

今日は兄の誕生日だ。私より10才年上の兄は、
私が10才の時に両親を事故で失って以来ずっと私を育ててくれた。

兄は私を育てるために大学をやめ、働きながら私を育ててくれた。
口癖は「お前は俺の半分しか父さんや母さんとの思い出がないんだから」だった。
授業参観にも学校祭にも体育祭にも三者面談にも、いつも兄が来てくれた。
周囲のおばさま方の中で、明らかに兄は浮いていたが
それでもいつも兄は会社で休みをもらって学校に来てくれた。

初めて作った料理とも言えないようなものを、美味しいと言って全部食べてくれた。
仕事で疲れているだろうに、家に帰ってきてから私の学校での話を聞いてくれたり
宿題を見てくれたり、学校への連絡ノートも毎日欠かさず書いてくれた。
土日も私と遊んでくれて、色々なところへ連れて行ってくれた。

そんな兄には自分の時間なんてなかったように思う。
友達のを見て、お団子ヘアにして欲しい、友達のお母さんならやってくれたと
わがままを言った時慣れない手つきで一生懸命作ってくれたのに
こんなんじゃない、お母さんに会いたいとと兄をなじってしまった。
兄はそれを聞いてごめんと泣き出してしまった。
あの姿を思い出すたびに、兄も両親を事故で失った子供だったんだと今でも泣きそうになる。

その兄が、一年前両親と同じように事故で突然この世を去った。

兄が死んだ時、私は兄が両親を失った時より一才年上だった。
兄はこの状態でまだ小学生の私を育ててくれたのかと思うと
それがどれだけ大変だったかと思って涙が出る。

兄は私がいたせいで友達と遊びにも行けなかった。
恋人も、出逢う暇さえ私が奪ってしまったんだ。
たくさんたくさんごめんなさいとありがとうも言えないままだった。

「ちゃんと幸せになれ」っていつも言ってくれたけど、
兄の幸せはどこにあったのだろう。今も考えてる。

もう兄に何も返すこともできないけど、兄のおかげでここまで来れた人生、
恥ずかしくないように生きられるように頑張ろうと思う。

お兄ちゃん、天国で見ててね。
今からでもお父さんとお母さんに甘えてるといいな。


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2007年01月10日

泣ける2ちゃんねる。

糖尿病を患ってて、目が見えなかったばあちゃん。
一番家が近くて、よく遊びに来る私を随分可愛がってくれた。
思えば、小さい頃の記憶は殆どばあちゃんと一緒に居た気がする(母が仕事で家に居なかった為)。

一緒に買い物行ったり、散歩したり。
だけど、ばぁちゃんが弱っているのは子供だった私でもわかっていた。

高校に入ると、友達と遊ぶほうが多くなっていて、ばあちゃんの家に行くことが少なくなっていた。
たまに行くと、「さぁちゃんかい?」と弱々しい声で反応してた。
もう、声だけじゃ私だってわからなくなっていた。
「そうだよ、さぁちゃんだよ。ばーちゃん、散歩行こうかー?」
手を取って、散歩に行ったけれど、もう昔歩いた場所まで、ばぁちゃんは歩けなくなっていた。
それから、あまりばあちゃんの家に行くことは無くなってた。

暫くして、母さんから「ばぁちゃんがボケちゃったよ」と聞いた。
誰が誰だか、わからないんだって。
私のことも、わからなくなってるらしい。
なんとなく、覚悟は出来ていた。けれど、悲しかった。

それから。
半年くらい過ぎた頃。
ばぁちゃんが死んだっていう報せが届いた。
泣くこともなく、通夜、葬式が終わった。

葬式が済んだあと、私は叔父に呼び出された。
叔父はばぁちゃん達と最後まで暮らしていた人だ。

「箪笥の中にな、『さぁちゃんの』っていう封筒が入ってたんだよ。」

そう言って、私に封筒を手渡した。
ばぁちゃんの字で、さぁちゃんのって書いてあった。
中身は、通帳だった。私名義の。
二十万ほどの預金が入っていた。
働いてないばぁちゃんが、こつこつ貯めたお金。

そういえば、昔、ばあちゃんが話していた。
「さぁちゃんが結婚するときのために、ばーちゃん頑張ってるからね。」
「だから、ばぁちゃんにも孫抱かせてね。」

その夜、初めて泣いた。

ばぁちゃん。
あれから5年も経っちゃったけど、さぁちゃん、来年結婚するよ。
孫抱かせてやれなくてごめんね。

でも、喜んでくれるよね。


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2007年01月05日

泣ける2ちゃんねる。

私は運動(体育)が苦手で、幼稚園〜小学校の運動会の50m走などでは
いつもビリか下から2番目の順位で、1位になれたことがありませんでした。
うちの両親は「みんなはできるのにどうしてお前だけできないんだ!」とか
「1位になってみなさいよ、気持ちいいよ〜」などと言ってきましたがおばあちゃんだけは違いました。
5位になって私がおばあちゃんに「また5位になっちゃったよ・・・」と言うとおばちゃんは
「別に1位じゃなくてもいいんだよ、何位だって自分ががんばればいいの」
と言ってくれました。
逆に言うと親じゃないからそういう無責任なことが言えるんだと思う
人もいると思いますが、私にはとても嬉しい言葉でした。
高校受験の時、成績が悪くて希望通りの高校に入れないとわかった時にもおばあちゃんは
「どんな学校だってがんばって勉強すればいいんだよ、いい学校に入って大学出たからって
自分が幸せになるとは限らない、自分がいいと思った道をすすみなさい」
と言ってくれてとても気が楽になり、楽しい高校生活を送ることができました。
おばあちゃんの言葉でどんなに安心できたか。
1番にならなくても、何事も最後まで努力してやりとげるということを教えてくれました。
おばあちゃんありがとう、将来結婚して子供ができたら同じことを言ってあげようと思います。


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2007年01月02日

泣ける2ちゃんねる。

うちの親は私が小さいころから、とても厳しかった。
高校生になっても、友達と公園で花火することさえ許してくれなかった。
門限を破って、父親にボコボコにされたこともあった。
そんな親が嫌で、高校を卒業した後、一人暮らしを始め、親に会うことは
めったになかったが、成人式の日、母が手紙を持ってきた。

開けてみると、8枚の便箋にびっしり父からの手紙が書いてあった。
私が生まれる前に母が2度流産したこと、私が産まれるまで
どんなに不安だったか。事細かに色んな事が書いてあったけど
最後に「お父さんという名前をくれてありがとう。
これからは、仲良くやっていこうな。」

泣いた。


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2006年12月24日

泣ける2ちゃんねる。

付き合って2年の彼に、12月1日に突然フラレた、97年のあの最悪な冬。
もう寂しくてどうでもよくて、イヴは適当に男の子を誘って、
彼との思い出の、港のでっかいツリーを見に行った。
バカだった。
もう、何だろ。私は彼が好きで好きで大好きで、
全然忘れられなくて、
去年の今日の私はなんて幸せだったんだろうとか
なんで私は今好きでもなんでもないこの男とこれを見てるんだろうとか
つらくて悲しくてものすごく痛い気持ちで、
涙がどんどん出てくるので、ツリーを見上げるふりをして、
涙がこぼれないように必死だった。
会いたい!会いたい!って頭のなかで叫んだよ。

そして2002年の今日。
なぜか今、隣に「ハラ減った、なんか作れ」という、別れたはずの彼がいるわ…
寝室には彼と私の子が寝とるわ。

あのときの私に教えてあげたい。今のこの幸せ。
この季節になるとふと思い出す、
97年のクリスマス・イヴ。


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2006年12月13日

泣ける2ちゃんねる。

俺には母親がいない。
俺を産んですぐ事故で死んでしまったらしい。
産まれたときから耳が聞こえなかった俺は
物心ついた時にはもうすでに簡単な手話を使っていた。

耳が聞こえない事で俺はずいぶん苦労した。
普通の学校にはいけず、障害者用の学校で学童期を過ごしたわけだが、
片親だったこともあってか、近所の子どもに馬鹿にされた。
耳が聞こえないから何を言われたか覚えていない(というか知らない)が
あの見下すような馬鹿にしたような顔は今も忘れられない。

その時は、自分がなぜこんな目にあうのかわからなかったが、
やがて障害者であるということがその理由だとわかると
俺は塞ぎ込み、思春期の多くを家の中で過ごした。
自分に何の非もなく、不幸にな目にあうのが悔しくて仕方がなかった。

だから俺は父親を憎んだ。
そして死んだ母親すら憎んだ。
なぜこんな身体に産んだのか。
なぜ普通の人生を俺にくれなかったのか。

手話では到底表しきれない想いを、暴力に変えて叫んだ。
ときおり爆発する俺の気持ちを前に、父は抵抗せず、
ただただ、涙を流し「すまない」と手話で言い続けていた。

その時の俺は何もやる気がおきず、荒んだ生活をしていたと思う。

そんな生活の中での唯一の理解者が俺の主治医だった。
俺が産まれた後、耳が聞こえないとわかった時から、ずっと診てくれた先生だ。
俺にとってはもう一人の親だった。

何度も悩み相談にのってくれた。
俺が父親を傷つけてしまった時も、優しい目で何も言わず聞いてくれた。
仕方がないとも、そういう時もあるとも、そんな事をしては駄目だとも言わず、
咎める事も、慰める事もせず聞いてくれる先生が大好きだった。

そんなある日、どうしようもなく傷つく事があって、
泣いても泣ききれない、悔しくてどうしようもない出来事があった。
内容は書けないが、俺はまた先生の所に行って相談した。

長い愚痴のような相談の途中、
多分「死にたい」という事を手話で表した時だと思う。

先生は急に怒り出し、俺の頬をおもいっきり殴った。
俺はビックリしたが、先生の方を向くと、さらに驚いた。

先生は泣いていた。

そして俺を殴ったその震える手で、静かに話し始めた。

ある日、俺の父親が赤ん坊の俺を抱えて先生の所へやってきたこと。
検査結果は最悪で、俺の耳が一生聞こえないだろう事を父親に伝えたこと。
俺の父親がすごい剣幕でどうにかならないかと詰め寄ってきたこと。

そして次の言葉は俺に衝撃を与えた。

「君は不思議に思わなかったのかい。
 君が物心ついた時には、もう手話を使えていた事を。」

たしかにそうだった。
俺は特別に手話を習った覚えはない。じゃあなぜ・・・

「君の父親は僕にこう言ったんだ。

『声と同じように僕が手話を使えば、この子は普通の生活を送れますか』

驚いたよ。
確かにそうすればその子は、声と同じように手話を使えるようになるだろう。
小さい頃からの聴覚障害はそれだけで知能発達の障害になり得る。
だが声と同じように手話が使えるのなら、もしかしたら・・・
でもそれは決して簡単な事じゃない。
その為には今から両親が手話を普通に使えるようにならなきゃいけない。
健常人が手話を普通の会話並みに使えるようになるのに数年かかる。
全てを投げ捨てて手話の勉強に専念したとしても、とても間に合わない。
不可能だ。僕はそう伝えた。
 
その無謀な挑戦の結果は君が一番良く知ってるはずだ。
君の父親はね、何よりも君の幸せを願っているんだよ。
だから死にたいなんて、言っちゃ駄目だ。」

聞きながら涙が止まらなかった。
父さんはその時していた仕事を捨てて、俺のために手話を勉強したのだ。
俺はそんな事知らずに、たいした収入もない父親を馬鹿にしたこともある。

俺が間違っていた。
父さんは誰よりも俺の苦しみを知っていた。
誰よりも俺の悲しみを知っていた。
そして誰よりも俺の幸せを願っていた。

濡れる頬をぬぐう事もせず俺は泣き続けた。
そして父さんに暴力をふるった自分自身を憎んだ。
なんて馬鹿なことをしたのだろう。あの人は俺の親なのだ。

耳が聞こえないことに負けたくない。
父さんが負けなかったように。

幸せになろう。そう心に決めた。

今、俺は手話を教える仕事をしている。
そして春には結婚も決まった。
俺の障害を理解してくれた上で愛してくれる最高の人だ。

父さんに紹介すると、母さんに報告しなきゃなと言って父さんは笑った。
でも遺影に向かい、線香をあげる父さんの肩は震えていた。
そして遺影を見たまま話し始めた。

俺の障害は先天的なものではなく、事故によるものだったらしい。
俺を連れて歩いていた両親に、居眠り運転の車が突っ込んだそうだ。
運良く父さんは軽症ですんだが、母さんと俺はひどい状態だった。
俺は何とか一命を取り留めたが、母さんは回復せず死んでしまったらしい。
母さんは死ぬ間際、父さんに遺言を残した。
「私の分までこの子を幸せにしてあげてね」
父さんは強くうなずいて、約束した。
でもしばらくして俺に異常が見つかった。

「あせったよ。お前が普通の人生を歩めないんじゃないかって
 約束を守れないんじゃないかってなぁ。
 でもこれでようやく、約束…果たせたかなぁ。なぁ…母さん。」

最後は手話ではなく、上を向きながら呟くように語っていた。
でも俺には何て言っているか伝わってきた。
俺は泣きながら、父さんにむかって手話ではなく、声で言った。

「ありがとうございました!」

俺は耳が聞こえないから、ちゃんと言えたかわからない。
でも父さんは肩を大きく揺らしながら、何度も頷いていた。

父さん、天国の母さん、そして先生。
ありがとう。俺、いま幸せだよ。

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2006年11月29日

泣ける2ちゃんねる。

秋田が泣いた、2ちゃんの書き込みを紹介します。

おばあちゃん

わがままでごめんなさい。
いじっぱりでごめんなさい。
誕生日に買ってくれたブラウス、かわいくないって
一度も着ないで捨てちゃってごめんなさい。
鏡台にあった化粧品、勝手に使ってごめんなさい。
おばあちゃんのダイヤの指輪が欲しいって、駄々をこねてごめんなさい。

たった一人の女の子の孫だから、一番大事だよって言ってくれたとき
嘘だって言っちゃってごめんなさい。
沢山作ってくれたセーター、オバちゃんくさいデザインだって
文句つけてごめんなさい。

原因不明の病気にかかって、顔面麻痺したおばあちゃんは
目がぎらぎらして、よだれをたらしててすごく怖かった。
わたしはきっとおびえた顔をしていたと思う。
でもおばあちゃんは頭の中は元気なままだった。
きっとすごく傷つけた。
ごめんなさい。ごめんなさい。

お見舞いに少ししか行けなくてごめんなさい。
抜け殻になったおばあちゃんを見て、怖いと思ってしまった。ごめんなさい。
お葬式のときに泣かなくてごめんなさい。
大勢の前で涙を見せたくなかった。だから次の日、トイレで泣いた。
ごめんなさい、ごめんなさい。

日曜日に、お兄ちゃんが結婚するよ。
お嫁さんは優しくてかわいい人だよ。
見たいだろうから、写真を取ってお墓に持っていくね。
わたしの結婚式は、まだまだ先になりそう。
でも、曾孫ができたらきっと見せに行くから。

おばあちゃん、
今まで知らなかったけど、
おばあちゃんの事大好きだよ。
ありがとう。


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