2008年03月24日

泣ける2ちゃんねる。

僕は高校を卒業し救急箱のセールスをする。
好きで選んだ仕事ではなく不況で就職難と言う事もあり・・・
僕は人見知りもあり、なかなか仕事に馴染めず、ノルマをこなせずいた。
そんな頃、新規契約を集めに出て一人のお婆ちゃんと知り合う。
お婆ちゃんは別契約があるにも関わらず、僕と契約してくれた。
僕は、これを期にお婆ちゃんと月に一度会う。
と言っても、お婆ちゃんは一人暮らし薬など減る事もなく・・・
ただの茶のみ友達となる。
毎月10日に行くと、お婆さんは満面の笑みで僕を迎えてくれる。
お婆さんは薬箱そっちのけで、饅頭に羊羹・・・
お昼時なら、ご飯までご馳走してくれた。
お婆さんは僕を孫にダブらせ・・・
僕は、お婆さんを自分の祖母のように感じ・・・
そんな関係も三年を過ぎ・・・お婆ちゃんが日増しに老いてゆく
僕は、そんなお婆さんを安じ家族に連絡するよう進めた・・・
しかし何ヶ月過ぎても一人暮らしは続いてた。
僕は出来る限りで、月1を月3に訪れる。
お婆ちゃん「今度は20日に来るね・・・」
僕が20日に来て見ると、お婆ちゃんはコタツに座椅子・・・、
ほんのりと温かみを残し・・・
ちょっと遅かった・・・?待ちきれなかった・・・?
もっと一緒に話したかったな。
茶のみ契約も今日で終わりだね。
おばあちゃん

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2008年01月29日

泣ける2ちゃんねる。

幼稚園の頃、父親参観の日があった。
ちょうど父の日の前後だったので、みんなそれぞれ手作りの
プレゼントを作った。オレも空き缶と紙粘土で灰皿を作った。

でも父は来なかった。
うちは自営で、その日も急な仕事が入り客の所に
行かなきゃならなかったらしい。
みんな父親と楽しそうにしてる傍らで、オレの相手は
幼稚園の先生だった。

父親参観も終わってしばらくして、やっと作業着姿の父が来た。
オレは泣きながらプレゼントを渡し、
その日はもう父と口をきかなかった。

十数年経って、無事大学に合格し
お世話になった幼稚園の園長先生に挨拶に行った。

そんときに園長先生が話してくれたんだけど、
あの日、幼稚園に駆け付けた父は園長先生の前で
「息子に申し訳ないことをした」って、人目も憚らず
ボロボロ泣いてたらしい。

父親の泣くとこなんて見たこと無かったので、驚くと同時に
あぁ、愛されてたんだなあと思って、オレも泣いてしまったよ。
二代で泣き顔を見られる親子・・・(´・ω・`)

昔と変わって最近めっきり涙腺がゆるくなった父だが
まだまだ健在です。
後数年したら実家帰るから、それまで元気でいてなー

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2008年01月12日

泣ける2ちゃんねる。

小学三年生ごろの話。
父は入院してて、週一回ぐらいは母と一緒にお見舞いしてた。
入院から数年経ったころ、病院から電話がかかってきた。
病室に入ると、おばあちゃんと姉ちゃんと父の妹、看護士と医師。
その人たちがベットを囲んでた。
おばあちゃんと父の妹は、病院から遠いのに…
駆けつけてくれたんだろうな。
みんな静かだった。
けど、父の妹は泣き崩れてた。
おばあちゃんが私に言った。
まだ耳は聞こえるから、言葉をかけてあげて、と。
でも…どうすりゃいいのかわかんなかった。
いや、口が動かなかった。
しばらくすると、心電図が0になった。
でも、三分ぐらい様子をみてた。
それから、医師が時刻を言った。
ご愁傷様とかより先に、死亡時刻を伝えた。
そして、何人かで病室に残った。
不謹慎だけど気になって、父の顔にかけられた白い布を
そっとめくった。

幸せそうな笑顔だった。

あのとき言葉をかけてられなかったのが、
自分にとっちゃ一番せつない。
あとから知ったけど、ガンだったらしい。
随分経った今でも、思い出すと泣きそうになる。
ときどき泣く。
切ないとか悲しいとかもあるけど、くやしくて。
出来るなら、伝えたい。
ありがとうと、大好きと。

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2007年12月28日

泣ける2ちゃんねる。

年下の彼氏がいた。
私が30で彼が22。
大学生だった彼は社会人の私に頭が上がらなかったみたいで
付き合いはじめて3年たってたけど将来の話しなんてひとつも
しなかった。
そんな彼も卒業の年を迎え社会人1年生になった。
そしたらいきなり
「結婚してほしい。今すぐじゃなくていい。出世してそこそこの
生活が出来るくらい給料がもらえるようになったら。」
と大真面目な顔で言われた。
入社したばっかなのに、とからかったけど、本当にうれしかった。

8ヶ月後、彼は交通事故で亡くなった。
夜中、県外の取引先から自宅に帰る途中の事故だった。
彼の両親はかなり遠くに住んでいたので私が代わりに彼の会社に
荷物を取りに行った。
とりあえず自分の部屋に運び整理していると
パソコンと膨大な量の書類の中から黒い小さな箱が入っていた。

ダイヤの指輪だった。

はめてみるとぴったり。
入社したばっかで私のこと養うなんて、まだまだ時間が
必要だったくせに気が早いんだよ、ばーか、と

泣いた。

あれから4年。

私は34になり、傷が癒えたと思ってる両親に結婚を勧められている。
でも、絶対しない。
なんでって?・・
私はアンタと結婚してるつもりだから。

最後に。

ずっと言い忘れてたけど指輪ありがとう。
大切にしてる。

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2007年10月09日

泣ける2ちゃんねる。

俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。
この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、
良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、
やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。

あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。
でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、
その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。
当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、
「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。
星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。
でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。
突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。
いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。
同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。

それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。
高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、
「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。


そんな父も、今年結婚をした。相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。
結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。
でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。
良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。

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2007年09月20日

泣ける2ちゃんねる。

今日(日曜の話だが)、両親と俺の引っ越し先の部屋を掃除した。
本当は俺1人でやる予定だったのだが、引っ越しの手続き関係で
土曜に帰省した ときに酒を呑みつつ父親に話をしたら、
「それなら俺と母さんも行く。3人でやった方が早く片づくだろ」
と言い出したためだ。
結局、俺は大した仕事もせず、両親が床のふき掃除からトイレ掃除までやって 夕方実家に引き上げていった。
そして、所用を済ませ「もう親父は寝てるだろうなぁ(朝が早い仕事なので夜は早く寝てしまう)」 と思いつつ実家に戻ると、父親がまだグラスを片手に俺の帰りを待っていた。
母親に聞いたところ「あんたと一緒に呑みたくてずっと待ってたのよ」とのこと。
昼間の力仕事で疲れているだろうに・・・と思いつつも嬉しくて父親といろいろ話をしつつ杯を重ねた。
酒が回ってだいぶ良い気分になり、会話も一段落ついたところで母親が白い封筒を 俺の前に差し出した。

10万円入っていた。

「本当はこれ、前から欲しがっていたパソコンを買うためにお父さんが貯めてた貯金 なんだけど、『(俺の)引っ越し資金の一部として渡してやれ』ってお父さんが言うから」 と母親が言った。
もちろん、俺自身一応引っ越し資金は用意してたし(財形貯蓄を取り崩したんだが)、 父親が自身のために貯めた金をはいそうですかともらうわけにはいかない、と何度も 言ったが
「今買えなくてもパソコンは逃げやしないよ(笑)」
と言って取り合ってくれなかったし、母親は
「お父さんは結構お金持ってるから大丈夫よ」
と笑っていた。

だが、正月に帰省した時は父親の会社がリストラの影響で給料を大幅にカットされ、 元々「健康維持とちょっとした小遣い稼ぎのため」に始めた母親のパートの給料も 生活費に回さなければならなくなるだろうと一緒に酒を呑んだときに父親が話していたのだ。
そんな状況の中で本当ならば、パソコン購入ではないにしろいざというときのために 取っておきたい金だろうに、曲がりなりにもいっぱしの給料取りになった自分の 引っ越しなんぞのために惜しげもなく手放すなんて。

俺は両親の心遣いのありがたさと、仮にも社会人として独立しているにも関わらず 親に金の心配をさせてししまう己のふがいなさがないまぜになり、両親に見送られて 帰途につく間、ずっと涙が止まらなかった。

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2007年09月08日

泣ける2ちゃんねる。

うちの近所には、有名な仲が悪い嫁姑一家が住んでいた。
気が強いババアとそれに負けない嫁。
お互いに文句をポンポン言い合うような嫁姑だった。
ある日、とうとう姑が、病に倒れた。
姑は、「あんたには世話にならんよ!あっち行け!」
嫁は、「はいはい、うるさいよ。黙って、言うこと聞いてりゃいいんだよ。」
でもね、そんな姑の事(好みや性格、身体の具合)を一番理解してるのは、嫁。
近所では、アノ嫁さんじゃなきゃ、やってられないね。(by嫁連合)
まったく、きつい嫁だよ。あれじゃ、○○さん(ババ)が可愛そうだ。(by姑連合)

そんなこと言いながら、嫁は一生懸命に介護をしたの。

とうとう、姑が亡くなって、一通の手紙が出てきた。
「○○(嫁の夫=息子)へ、△△(嫁)を大事にするんだよ。
 私は、多分、もうダメだろうから。あんまり働き過ぎないように、言ってくれ。
 くれぐれも身体を大事にするように。
 あんなにケンカが出来たのは、嬉しかったよ。
 あんなに、出来た嫁をもらったお前は幸せものだよ。
 △△がお前を選んでくれた事は、私の育て方が間違っていなかった証拠だよ。
 ババ孝行してくれた△△へ。ありがとう。」
その嫁さんは、私に手紙を見せてくれながら、涙をにじませていたよ。
義母と嫁、同居50年、親子以上の何かが生まれていたのかもね。


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2007年09月03日

泣ける2ちゃんねる。

関係をせまると、あなたは紳士じゃないといわれる
関係をせまらないと、あなたは男じゃないといわれる

たびたび部屋を訪れると、もっと1人の時間がほしいといわれる
あまり部屋を訪れないと、二股かけているのかといわれる

はやりのカッコいい服を着ると、あなたって流行にふりまわされて軽薄といわれる
はやりのカッコいい服を着ないと、あなたってダサダサで恥ずかしいといわれる

話を聞きながら発言すると、黙って聞いてよといわれる
話を黙って聞いていると、なにか言ってよといわれる

待ち合わせに30分遅れていくと、30分も待たせるなんてひどいといわれる
自分が30分遅れると、30分ぐらいなによといわれる

やきもちをやくと、しばられるのはいやという
やきもちをやかないと、もう愛はないのかという

そうだねと賛成すると、自分の考えがない人ねといわれる
そうじゃないと反対すると、理解がない人ねといわれる

愛してるよと言うと 口の軽い人ねと言われる
大好きだよと言うと それだけしか言えないのと言われる

墓に供え物をすると 君は無視する
僕は泣いているのに 君は安らかに笑っている

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2007年08月12日

泣ける2ちゃんねる。

昔、俺ディズニーランドでバイトした事があったんだけど
俺はグッフィーのキグルミ着てビッグサンダーマウンテンの近くで
愛想振り撒くって役どころな訳よ。
だっりーなと思いながら写真撮られたり握手求められたりしてる中で
いきなり一人の中年女性が深々と頭を下げたのね。
俺何かな?と思ったら「写真映って下さい」って。
待てよおい。こいつら先だべ?って思ってたら
母親の向こうに車椅子に乗った
俺より五歳は若い女の子がドキドキといった表情で
俺のこと見てる訳よ。
一瞬で分かったんだ。こっちに来れないんだって。
ビッグサンダーマウンテンの近くって
段差が多くて車椅子じゃ来れないんだよな。
一旦、一般の人にゴメンねのポーズしながら
その車椅子の女の子の所に行ってやると女の子が凄い目を輝かせてる訳。
このコ、本当にグッフィーが好きなんだなと思うと
同時にちょっとしたアドリブを思いついて
さっき並んでた人においでおいでのアドリブしたんだ
折角だし集合写真みたいにしようってね。
待ってた人もノリノリでこっち来てくれて一緒に映ってくれたんだ。
最後に女の子に(早く直るといいね)ってアドリブをしたら
そのコの母親がいきなり号泣したんだよ。
え?って思って必死で(泣かないで)のポーズしたらさ。
今度は女の子の方が泣いちゃって
必死でなだめてその時は事無きを得たんだ。
後でわかった、その子白血病だか何だかで歩く事も出来ないんだって。
それで最後にディズニーランドを見たいって母親にいったらしい。
それ事態無理に近い事なんだけど
母親は強引に看護婦を説得してここに来たらしい。
乗り物に乗る事が当然出来ないからただ園内を見て回るだけ。
本当は乗りたかったんだろな。ビッグサンダ-マウンテン・・
その子が一番好きなキャラがグッフィーみたい。だからあの時の集合写真と
俺のお祈りが凄く嬉しかったって・・・後日先輩がくれた俺宛の手紙を読んだ。
その母親、病室にその時の集合写真飾ってるんだと。
女の子もそれを見ながら嬉しそうに病気と闘ってるみたい。
バイト辞める前に病院聞いてキグルミでお見舞いに行ってやればよかったな。
まだ生きてるかなぁ?生きてて欲しいなぁ・・・
頑張って元気になって、
そしたら今度は俺がビッグサンダ-マウンテンに乗せてやりたい。
毒男だから拒絶されるかもだがな。


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2007年08月04日

泣ける2ちゃんねる。

あの日、俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った
その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕飯も食べずに部屋に篭った
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたようだ、が、父親が部屋に飛び込んできたので目が覚めた
「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の親父の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげてくださいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った
その後、母親があの時間に外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のために母はアイスを買いに行って事故にあったとわかった

通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんな
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている。

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2007年07月19日

泣ける2ちゃんねる。

私が中学生くらいの頃、ちょうど反抗期真っ最中だった私は母と
些細な事で喧嘩になり、
母から「そんな子に育てた覚えはない!」と言われました。
売り言葉に買い言葉で「産んでくれなんて頼んだ覚えは無いよ!」
と、つい言ってしまいました。
お前なんて産まなきゃよかったくらいの言葉が返ってくるかと
思ったのに、母は私のその言葉を聞いてから黙ってしまい、
返事をする事はありませんでした。
それから月日は経ち、私が大学入学する時に戸籍抄本を大学に
提出しなくてはいけなかったので、役所に取りに行きました。
その戸籍には「養女」の文字が・・・
私は父と母の本当の娘ではなかったのです。
そんなこととは全く知らずに、あの日言ってしまったあの言葉。
悔やんでも悔やみきれませんでした。
養女だと知ったとき、私は全くショックは受けませんでした。
むしろお父さん、お母さんの子として育った私って、なんて幸せ
なんだろうと胸がいっぱいになったのを良く覚えています。

おかあさん、あの日はごめんなさい。私を本当の子以上に大切に
育ててくれた事、感謝しています。
私も自分の子供たちに、母が私に注いでくれたような愛情で
育てたいと思います。


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2007年07月05日

泣ける2ちゃんねる。

うちの子どもは2人居るが性格は正反対に近い。
おっとりとした兄と自己主張の激しい妹。
そのうちの兄が小学生の頃(10年以上前)の思い出話だ。

当時「バラ色の珍生」が流行ってた頃。
毎度毎度エンディング近くになると「生き別れのご対面コーナー」
紳介が泣けるコメント連発、徳さんが涙を振り絞ってた。
その時は娘しか観てなかったが、ぽろっと言ってしまった。
「お前のお父さんも、産んでくれた母親の顔知らないんだよ」
「えーー?!じゃお父さんもバラ珍出れるやん!すごーーい!」
妙に興奮する娘。けどまぁこんなもんだろの反応だった。(そう思った)

後日。今度は娘が観ておらず、息子が憮然と隣で観ていた。
息子にも同じ事を告げてみた。
「えっ・・・?」息子絶句。
何も言わないので深く考えずテレビを観ていた。
ふと気がつくと、息子はヒザに顔をうずめ息を殺していた。
咄嗟に、なんて事言ってしまったんだろう、と物凄く後悔した。

今はヒゲ面も濃いめのおっさん顔になった息子。
しかし自分の中では、父親が可哀想だと泣いた、
あの頃の息子がどこかにいると感じる。

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2007年06月18日

泣ける2ちゃんねる。

バイト先が倒産して数日後、そこの社長が亡くなりました。自殺でした。
とても優しくて、まさに紳士って感じの人で、私にとっては親より尊敬できる人でした。
就職先が決まらず鬱々としている私に、

「○○くん、君はまだ若いんだから、焦らないでじっくり腰を据えてかかりなさい。
 やりたいことがあるなら、失敗してもいいからまずやってみたらいい。
 わたしは応援してるから、頑張りなさい」

といつも言ってくれました。私は何度も励まされました。
店を閉める直前になっても、社長はいつもと変わらずににこにこ笑ってたんです。

それに、今度、おいしい定食屋に行こうって約束してたのに。
その定食屋の前を通ると、ちょっと涙が出てきてしまうことがあります。
今度こそ、入ってみようと思っています。
私ひとりで、だけど。

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2007年06月12日

泣ける2ちゃんねる。

昨年ガンが転移しもう手遅れとわかった祖父が今年の1月4日に逝った。
ガンと知るまでは「腰が痛い」と夜中に起きてくる祖父に対し、
辛辣な言葉を投げつけ部屋を移動し受験勉強をしていた。
大学に受かったとき「良かった」と一番喜んでくれたのは祖父だった。
「夏を越せないかもしれない」そう医者に言われていた夏になった。
病院の個室でエアコンもきいているのだが徐々に弱っていく祖父がいた。
俺は体育会の厳しい部活が毎日あり、ほとんど家に帰れなかった。
それでもなんとか秋になり、少し持ち直した。
ガンは神経を侵し、腰の骨を溶かしているという。
痛みを止めるために打つ強いモルヒネ・・・副作用で意識が薄れていた。
緩和ケア病棟というホスピスのようなとこに入り、ただ痛みをとる治療が
始まった。食事もとれず点滴だけの祖父はいつの間にか骨と皮だけになって
いた。「もう死にたい・・・」と看護する母に何度も訴えた。
12月30日、「家に帰りたい」と祖父がつぶやいた。
「医者と相談して帰れるうちに帰ろう」ということになり、たくさんの
モルヒネを渡されて帰宅した。
庭につもった雪を見て「綺麗だ」とつぶやいた祖父。
熱で朦朧としながらも家に集まった親戚一人一人に握手をした。
そして1月4日、祖母との結婚記念日を待つかのようにして朝方静かに
旅立った。傍で寝ていた家族を起こすことなく、痛みがなくなったかのように
安らかな寝顔だった。

祖父からもらったお年玉・・・四万円。葬儀が終わった後、開けてびっくりした。
「お父さん、おじいちゃんがこんなに・・・」
「おじいちゃんがなぁ、『これで最後やし・・・』って言ってなぁ・・・」
・・・涙が止まらなかった。思い出と後悔が湧き出てくる。
俺は祖父に育ててもらったようなものなのに思春期を迎えてからひどいことばっか
祖父にしていた。
「死」を意識しだしてから祖父は何を思ったのだろう。
最後に家に帰宅したとき何を感じたのだろう。
おじいちゃん・・・俺、おじいちゃんみたいに立派になるよ。
葬儀に何百人も来て泣いてくれるような、そんなおじいちゃんを尊敬する。
ごめんな、あんま会いにいけなかってごめんな。夢にでも出てきてくれないかな??
会いたいです。謝りたいです。

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2007年06月07日

泣ける2ちゃんねる。

うちは俺が小さい頃に両親亡くなって、姉貴がずっと俺の面倒みてくれてたん。
で、俺が去年独立して中古車屋を興して商売始めたのを観て随分喜んでた。

姉貴もバイクの後ろに乗るのが好きで、ZX11に乗ってた頃は良く後ろに乗せてたんだけど
SPγに乗り換えてからは乗せられなかったのよ。
それが、ちょっと前にユメタマに乗り換えた時、久しぶりに2ケツしたいと言ってきた。
んで、二人して糸魚川のちょっと良いレストランまでツーリング。

そのレストランで姉貴が、「○○も大きくなって独立したし、私も結婚しようと思うんだ」

俺の面倒見るために嫁に行き遅れてた姉貴、マジで感謝してるよ。
帰りの運転、前がぼやけて怖かったわ。


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2007年06月01日

泣ける2ちゃんねる。

今日はお腹の赤ちゃんと家で過ごす最後の日。
何より大切で誰より愛しかった。初めて人の命が大事だって思えた。
なのに産んであげることできなかった。
ダメなママで本当にごめんね。
先生に無理言って最後のエコー見せてもらったら、
小さな身体全部で一生懸命頑張ってとっても大きくなってたね。
ママ本当に涙が止まらなかった。心から嬉しくて誇りに思えたよ。

いまどんな夢見てるのかな。どうかせめて最期まで幸せな夢を見ていてほしい。

このあいだ一緒に見た盲導犬クイールの映画、感動したね、
天国でクイ-ルに会えるといいね。きっとぺろぺろ舐めてくれるよ。
いつか私が抱っこしにいってあげられる日まで少しだけ、待っててね。
絶対に、会いに行くよ。どこにいても探し出してみせるよ。
でもママ地獄に行っちゃうかもしれないけど…そしたら代わりにママの妹分の
わんこにベビを守ってくれるようにってお願いするから。
どうか寂しい思いだけはしないように…。・゚・(ノД`)・゚・。


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2007年05月18日

泣ける2ちゃんねる。

社会人1年目のちょうど今頃、朝の地下鉄車内で痴漢に遭いました。
ものすごいラッシュで逃げようもなくて、半泣き状態だったところ

「悪ぃな、ちっと詰めてくれや」

と大きなカゴを持ったおじさんが痴漢と私の間に割り込むように立ってくれて
痴漢のおやじをぎろりと睨みつけてくれました。
その後、痴漢が電車を降りるとおじさんは本当に小さな声で

「ああいうのはどうしようもねぇな。
 ・・・すぐ気づかなくてゴメンな」。

ありがとうございます、と言うのが精一杯の私に

「俺も娘がいるんだよ、
 あんたもお父ちゃん大事にしてやってくんな」
 
と照れ笑いしていたおじさん、
本当にどうもありがとう。

私は小さいころ父親を亡くしていたので、
天国の父が助けにきてくれたようで
実はその後、嬉しくてちょっと泣いちゃいました。
東京の日比谷線でのことでした。
おじさんは築地まで行ったのかな・・・。

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2007年05月13日

泣ける2ちゃんねる。

過去の自分へ

いつ読んでもいいけどさ、
私、結構幸せです。

過去を振り返って思いましたけど、
その苦しさがあってこそ、
今の幸せがあります。

私はきっと明日も幸せです。
納期がせまっているけど、
せっぱつまっているけど、
それでもナカナカいいもんです。

頑張れ、過去の私。
大丈夫だから。

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2007年05月09日

泣ける2ちゃんねる。

この前息子の運動会行ったんですよ、初めてね。
で、生まれて初めて息子が運動会の入場行進する姿を見たわけですわ。もう4年生なんだけどね。
正直最初は我が子の運動会見学って簡単だと思ってたのよ。みんな普通に明るく楽しく見学してるからさ。

あのね、私が間違ってた。あれは私ら夫婦が気楽に見るもんじゃない。
神だね、神が見るものだよ。
入場行進始まった時さ、めちゃめちゃびびって他の父兄の後ろからそろ〜って
カメラ構えてそろ〜っとのぞき込んだのよ
10秒くらいかけてさ。でなんかドキドキして怖くなって後ずさりちゃったのさ。
そしたら旦那がさ「もっと前でしっかり見ようよ!」とか言うの。

同じ過ちは2度繰り返さないのが私よ。
だから前に進んだのさ。えぇ、そりゃもう再前列でカメラ構えましたとも。
全てを忘れてファインダー覗き込んで息子を捜したのよ。

運動会って梅雨時とか秋の長雨時期にあるから、今までずっと息子は入院中だったり
自宅で寝込んでたりで4年生にして初めての運動会出席だって事とか
救急車で搬送中に心拍停止しかけて「いやあぁぁぁぁ!!」って叫んだ事とか
もう今朝お弁当作りながらすでに涙目になってた自分とか色々思い出しながらね。
だって旦那が前で見ようって言ったからね。

そしてらエライ事になった。
もうすごい涙。鼻がもげるのかってくらいツーンと来てすごい号泣。
カメラ覗いていても全てがぼやけて息子の姿なんか見えない。
大雨警報の高速道路でワイパー壊れたまま100キロで走ってる車のフロントガラスくらい。
もう絶対に事故ってる。
それで横見たら旦那がすごい勢いで鼻すすり上げてエグエグ泣いてんの。
周囲の父兄はドン引きしてるし。ホントごめんなさい。

正直「パパはビデオ、ママは写真、ベストショットバンバン撮るからね!」
なんて大見得切らないで素直に隅っこからコッソリ泣きながら見ればよかったと思ったよ。
心の底から再前列まで出てきた事を後悔したね。
でも運動会終わって183センチ大男のダンナ共々泣きはらした目で
「暑ー!日焼けして顔真っ赤になっちゃったじゃん。これだから炎天下の運動会は。」
とか言っちゃてんの。
ホント私達かっこわるいバカ夫婦。

神様、本当にありがとう。
・・・でも恥ずかしくて来週の授業参観&懇談会に どんな顔して出席したら
良いか分からない。
誰か助けて下さい 。


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posted by akita at 11:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ●泣ける2ちゃんねる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月25日

泣ける2ちゃんねる。

大学時代の同級生仲間で、1年の時から付き合ってるカップルがいました。
仲良しで、でも二人だけの世界を作ってるわけじゃなく、みんなと仲良くしてました。
私は女の方の一番の友達だったんだけど、彼氏とも仲良くしてたわけです。
大学を卒業しても交流があったし、何度か会った時も二人は一緒で、
本当に仲良しだなァって思ってたわけです。
最後に3人で会った時、「結婚しないの?」って聞いたら、「うん、まあね…。」とお茶を濁す様な返事。
その後、彼女が病気だった事がわかって入院して、
彼は仕事の行きと帰りに欠かさず彼女のお見舞いしてました。私も何度も行きました。
病名は水頭症(脳腫瘍の一種?)でした。
結局、治療も空しく、彼女はこの世の人ではなくなってしまったんです…。
私たちが25歳の夏でした。
お通夜と告別式の手伝いに行った時、喪服を着てチョコンと座ってタバコを吸っている彼に、
「…、なんて言って良いか、わかんないよ…。」と泣きながら私は言いました。 すると彼は、
「そうだね。でも、これでアイツが他の誰の物にもなら無い事が決まったしね。」
と、ニッコリと笑顔で言いました。
私は耐えられなくて号泣。それでも彼は殆ど無表情で、まあまあと私の肩を抱いてくれました。
出棺の時、「これが最後のお別れです。」って式場の人が言った途端、彼は耐え切れなくなって、
崩れるようにボロボロと涙を流し始めました。
子どもの様に、大きな声をあげて。
その姿を見て、またしても私は号泣でした。
数日後、少し落ち着いてから、彼と会いました。見て欲しい物があるって。
それは彼女が昏睡して意識を失う前に書いた、最後の手紙だったんです。
彼が、「俺はね、アイツを励まそうと思って、『結婚しようよ。』って言ったんだ。
そうしたら、アイツは『病気が治ったら結婚届けを出そうね。』って言ってた。
俺は『間違いなく治るからさ』って励まして、役所に行って結婚届け貰ってきた。
でも俺は本当はもう無理だって知ってたんだ。でも励ましたかったんだ。
アイツが死んだ日に、アイツのお父さんが黙ってこれを渡してくれた。」
と言って、私に手紙を渡してくれました。中には見慣れた彼女の筆跡でこう書いてありました。
 「うそつき。でも凄く嬉しかった。
 本当にそうなったらなって何度も思いました。
 私にはあなたの代わりはもう見つからない。
 だから私はずっとあなたの物。
 だけどあなたの代わりはいるんだよ。
 気にしないで良いからね。
 落ち込んだあなたを、きっと一番励ましてくれるだろう人が誰なのかは、わかってるから。
 その人にこの手紙を見せてあげて下さい。
 本当にありがとうございました。じゃあね!」
って。
私はその手紙を見て、人前なのにまたしてもボロボロに号泣してしまって。
彼が、「それは多分、君の事なんじゃないか?」って。
うん。私は前から彼が好きだった。
あれからずーっと引きずってる彼と仲良くして4年。
今度結婚します。

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posted by akita at 12:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ●泣ける2ちゃんねる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする